« カフエマメヒコ(渋谷)の閉店・移転・開店 | トップページ | 新刊『京都 カフェと洋館アパートメントの銀色物語』 »

2013年5月17日 (金)

伊豆大島の私的読書室、石牟礼道子『食べごしらえ おままごと』

脱稿。いい響きです。抱っこ、とか、ラッコに似ているのもいい。ほとんど2年がかりになってしまった本の原稿(現実のほうがすばやく、大胆に、原稿を追い越してゆくから…)をひとまず脱稿して、一昨日から伊豆大島に来ています。

Oshima_01


島での私の読書室は、海沿いの通りに点在するあずまや。いつもコーヒーを2杯分抽出して真空タンブラーに入れ、カップと本とタオルの「海岸読書セット」を持ってここまでドライブします。

不思議なもので、一昨日は空が青く強く輝いていたのに、水平線には陸地の影がまったく見えず、逆に昨日は薄雲を幾重にも織りこんでとろけるような柔らかい色をした空なのに、水平線の上に伊豆半島の山々が薄く浮かんでいました。

大気が澄んでいるときは、山の斜面に並ぶ建物まで信じられないほど近くに見えるのですが、夏にそうなることはめったにありません。

Oshima_02_2

本日の読書は石牟礼道子の『食べごしらえ おままごと』。こんなまえがきから始まります。

  美食を言いたてるものではないと思う。
  考えてみると、人間ほどの悪食はいない。
   (中略)
  食べることには憂愁が伴う。
  猫が青草を噛んで、もどすときのように。

食にまつわるエッセイ群を読み進めて、印象的なこのまえがきに通じるものを『山の精』と題した一篇のなかにみつけました。

  木の芽どきとか、木の芽流しという言葉があるが、
  春から初夏にかけて、芽の出るものを
  わたしたちが好むのはなぜだろう。

ここで語られるのは新ゴボウになる前の茎や、蕎麦の芽ですが、私は大好物のふきのとうや、タラの芽や、こごみの天ぷらを思い浮かべました。春先のほろ苦い、香りの強い芽たち。

石牟礼道子は緑の芽を食べるのは人間や牛馬だけではなく、「猫でさえも気分の悪いとき、畑や庭にやわらかそうな草をみつけて、噛んでいるのをよくみかける」と続けます。猫たちは毒消しのために草を食べて、もどすのだと。そして、しめくくりの一文。

  わたしが野草を好むのも、わが身の毒をもどすためだろうか。

ああ! と腑に落ちたのです。

春先、大島では義母が趣味でつくっている家庭菜園のすみっこに野生のふきがどっさり芽をだし、半分は私が天ぷらにして、もう半分は義母がふきみそを作りました。
 
 

|

« カフエマメヒコ(渋谷)の閉店・移転・開店 | トップページ | 新刊『京都 カフェと洋館アパートメントの銀色物語』 »

97 本日の1冊」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/219376/57398716

この記事へのトラックバック一覧です: 伊豆大島の私的読書室、石牟礼道子『食べごしらえ おままごと』:

« カフエマメヒコ(渋谷)の閉店・移転・開店 | トップページ | 新刊『京都 カフェと洋館アパートメントの銀色物語』 »