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2008年10月15日 (水)

お米を拾う老人(for Blog Action Day 08)

そのとき小学4年生か5年生だった私は、寒くないようにと母に無理やり着せられたセーターや紺色のダッフルコートですっかり着ぶくれしていました。

記憶の舞台は、夕暮れどきのバスの停留所。なかなか来ないバスを待つ人々が7、8人立っていたでしょうか。

私はピアノのお稽古の帰りで、いつものように停留所の横のプラタナスの樹に寄り添って、幹の表面にできる面白いかたちをした“かさぶた”をはがすのに熱中していました。私の心づもりではプラタナスを助けてあげる行為だったのですが、プラタナスのほうではさぞ迷惑していたことでしょう。

なにげなく振り向くと、白髪を風に乱した老人がひとり、車道の端をおぼつかない足取りで歩きながらバス停に近づいてくる姿が目に入りました。老人は歩道に上がろうとした瞬間に段差につまづき、歩道の敷石の上に倒れました。その拍子に、なにか白いものが地面にぶちまけられたのです。

みんながいっせいに老人に注目しました。飛び散ったのは米粒でした。老人は上半身を起こし、歩道の敷石に膝をついて、弱々しい手で米粒をかき集めはじめました。そして、手に提げていたらしい透明なビニール袋の中に、少しずつ米粒を戻していったのです。

ひとりで食べるなら4、5日分のお米の量でしょうか。しかし、拾う作業はなかなかはかどりません。なにしろ米粒は小さくて、歩道の割れ目にもたくさん入り込んでいましたし、老人が両手で敷石を丹念にこするように集めると、お米以上に砂埃や枯葉のかけらも拾ってしまうのです。

バス停に並ぶ人々は、誰も身動きしませんでした。見てはいけないものを見てしまった……そんな空気が漂い、みな老人を横目でちらちら見ては、ゆきかう車の流れに視線を戻すことを繰り返しているようでした。拾うのを手伝うことで老人の自尊心を傷つけると考えたのかもしれないし、ただ、その痛ましい光景に動揺していたのかもしれません。あるいは、その惨めさに感染したくないと思っていたでしょうか。

私はといえば、あまりにも衝撃を受けて心臓の激しいドキドキが止まらなくなり、頭の中には「どうして?」と「どうしよう?」だけが渦巻いていました。あの人はいったいなぜお米の入ったビニール袋など提げて歩いていたの? 誰かの家で分けてもらったもの? あの人は貧しくてお米が買えない? 

老人は黙ったまま、米粒も砂埃も何もかもいっしょくたにビニール袋に入れては、またかき集めるということをひたすら繰り返していました。私にとってもその姿は、まともに見つめてはいけないものでした。

記憶には、そのシーンから先が存在しません。あのとき、世界は不意に真っ黒に塗りつぶされたように感じられました。なによりも黒くなってしまったのは私の心。どうして、と、どうしよう、は解決されない深い傷として私の中に残り、何十年を経ても、記憶の底から浮上してくるたびに新たに心をえぐるように思えます。

* * *

人間は目の前に苦痛に満ちた人間がいると、自分も同じように苦痛を感じてしまう動物。それはどうやら本能的なもので、脳科学ではミラーニューロンという言葉で説明が試みられています。また逆に、他者を喜ばせることで自分も喜びを感じるように脳の報酬系ができているのですって。

老人と子どもが危機的な状況にある姿は、とりわけ動悸を激しくさせるものです。一昨年、共感できるNGO組織をみつけて、毎月ほんのわずかな金額ですけれど募金が継続的に振り込まれるように手続きをしました。その金額で毎月、カンボジアの子どもが7、8人、小学校に通えるのです。飢えなくてすむためには、最低限の教育を受けて仕事を得るだけの力を身につける必要があるそうです。

もちろん、こういうことをするたびに、偽善にすぎないとか、単なる自己満足とか、経済の構造が変わらない限り何の解決にもならないという考えが必ず頭をよぎるのですけれど、あの募金によって世界の中でだれかひとりが、真冬の歩道にうずくまって米粒を拾わなくてもすむようになるなら、偽善だってけっこう!と自分を励ましています。

* * *

Niftyのココセレブ担当者から、10月15日はBlog Action Dayで、世界中のブロガーが同時にひとつのテーマを取りあげ、なにかしらムーヴメントが起こせるかどうかに挑戦しますというお知らせが届いて、今年のテーマは「貧困(Poverty)」だということでしたので、迷いながら苦しい記憶を書いてみました。まだいろいろなことについて、書いたことの是非を迷っています。

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コメント

ありがとうございます!
私にもそういう記憶があります。
大人になってから、旅先で目撃したこともあります。
ブロガーの方々によるムーブメント、素晴らしいです!!!
私がたまにお食事しにいく女性シェフは、カウンター越しに訴えています。
それをきっかけに、私も寄付活動をするようになりました。
僅かながらも、「塵も積もれば、世界中に笑顔が広がる!」と大きな期待を毎月膨らませています。

投稿: KAYO | 2008年10月16日 (木) 07時57分

何を書いても、どう書いても、迷いが残らないと言ったら嘘になるテーマかもしれませんね。
それが他者との関係を見るならなおさらでしょうか。

blogが一般人にもインターネットというメディアでの発言の場を与えた、ということの延長に出てきたアクションですね。その敷居の低さが、書く人だけでなく読む人にもできるアクションに繋がっていけるといいですね。迷いながらもこの記事を書いて下さったサマンサさんに感謝です。

投稿: Miu | 2008年10月16日 (木) 09時30分

もしかして少し似ている記憶かも、
と思ったのは

昔みた傷痍軍人の人たち。

子供のころ
横浜駅の西口で見かけると
どうしようもなくどきどきして
なにもできない自分に自己嫌悪したり。

魂がかきみだれるような記憶です。

このごろはすっかりお見かけしなくなりました。


投稿: オークボアキヲ | 2008年10月17日 (金) 13時06分

コメントありがとうございました。
たぶん、多くの人が明快な回答の輪郭を持たずに口ごもってしまうテーマで、それでも貧困という事実はあきらかにそこにあり、増大しているように見える、という抜きさしならない状況なのですよね…。

投稿: 川口葉子 | 2008年10月17日 (金) 18時44分

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受信: 2008年11月 2日 (日) 03時26分

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