13 京都のカフェ

2014年4月 2日 (水)

銀の桜茶会は何もかも銀桜色

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今年も京都の朽ちかけたアパートメントの枝垂桜が咲いてくれました。

その桜に逢うため、そして高田小絵子さんが催している桜茶会に参加するために、夫と二人で京都へ出かけました。私は新刊書の原稿やら校正やらがまだ終わっていないので、初校のゲラを抱えて。

(なぜ私がアパートメントの一室を借りるようになったか、その顛末は『京都 カフェと洋館アパートメントの銀色物語』[恵文社一乗寺店のWebサイト] に綴っています)

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高田さんは廃墟じみていたアパートメントの二階の一室を自らの手で半年間かけて優雅に改装し、完全予約制の中国茶サロンを開いています。この日、彼女の部屋は窓になだれ落ちる枝垂桜の花によって何もかも桜色に染まっていました。

意志をもつ生物のようなアパートメントも、年ふりた枝垂桜も、彼女がこの空間に新しい風を運んできたことを喜んでいるに違いないのです。

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中国茶を学ぶために1年ほど上海で暮らし、国家資格である中国茶藝師と評茶員の資格を取得した高田小絵子さん。豊かなおもてなしの最初の一杯は、彼女が考案した銀色の泡が弾けるスパークリングティー。

その後、鳳凰単叢 蜜桃香、安渓鉄観音、奈良の日本酒「春鹿 桜ラベル」(ふふふ、大人のお茶です)、美味ばかりを盛り合せた点心、しめくくりに若返りの水こと「エイジレスビューティー」と、2時間の幸福なお茶会はあっという間。

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白壁では桜の枝と陽光が奇跡のような幻燈を上映中。たとえこの影のなかに、本来この世のものではない影が映っていたとしても不思議はないような。

この桜茶会の時間を、お祝いに、送別記念にと、大切な人にプレゼントする粋な人々もいらっしゃるのだそうです。モノをいただくよりも、こんな心に沁みる時間を贈られるほうが、いつまでも記憶に残るに違いありません。

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そして次の日の夕刻、今度は高田さんの幅広いおつきあいと行動力によって突然話がまとまった「牡蠣とシャンパンと日本酒の桜茶会」におじゃましました。薄青い夕暮れどきのサロンもまた、良い香りのする夢のよう。

窓辺の桜を眺めながら深夜まで飲みつづけ……られたらよかったのに、夫は90歳をとうに過ぎた親戚の訃報の電話を受けてしまい、私は私でさっぱり校正が進まず、二人でばたばたと京都駅に駆け込まねばなりませんでした。

来年は桜の季節には仕事をしないと心に決めています。去年もそう考えていたことは内緒です。

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2014年1月11日 (土)

アカツキコーヒー (京都)と星の王子さま

All Aboutの記事でご紹介した京都のアカツキコーヒー。魅力的な店名の直接の由来は、オーナー夫妻が以前住んでいたマンションの名前だそうですが、このロゴは……

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「星の王子さまに出てくる『帽子じゃなくて、象をのみこんだウワバミ』でしょうか?」

オーナーにそうお尋ねしたら、なんの関係もありませんでした。地平線から顔を出す朝日をイメージしたデザインなのだそうです。アカツキですものね。

でもほら。岩波文庫『星の王子さま』のこれ。

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王子さまには、なんと公式ホームページがありました。オープニングアニメーションに注目。

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2013年9月14日 (土)

喫茶マドラグ、カフェモンタージュ(京都)

Kurokawa_02_2 8月に発売された本『京都 カフェと洋館アパートメントの銀色物語』(東京書籍)を読まれた方が、本書に登場する「喫茶マドラグ」でコーヒーを飲みながら、携帯電話で写真を撮って送ってくださいました。

コーヒーカップの横に、本。嬉しい風景です。

本のなかで詳しくご紹介させていただきましたが、喫茶マドラグは、喫茶セブンのマスターが高齢で亡くなられたあと、喫茶文化を愛する若いご夫婦がセブンの空間をそのまま受け継いで始めたお店。

この写真の手前に写っている雲形定規のようなテーブルも、昭和時代から何十年にもわたって使われてきたものです。

写真を送ってくださったのは、これも本書に登場するCafe Montage(カフェモンタージュ)にご自身の陶芸作品を置かれている黒川清志さん。喫茶マドラグもカフェモンタージュもご近所なのですって。

下の写真は黒川さんの建築陶芸。想像力をかきたてる魅力がありますね。私は数年前に旅したミコノス島を思い出しました。

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2010年1月 4日 (月)

祇園にしむら(京都)

昨年暮れに家族4人で訪れた祇園にしむら。
予約したのが3日前だったせいか、あるいはミシュラン京都版で星を獲得した影響も手伝ってか、気取らない小さなカウンター席はすでに満席。こじんまりした上がり口には先客たちの厚手のコートや手荷物がぎっしり並んでいて、私たちは2階のお座敷に通されました。

床の間には可憐な椿のつぼみ。お品書きはおまかせの懐石コースのみで、伝統的な日本料理に柔軟な新機軸を取り入れたお料理…と聞いていたのですが、あっと驚かせるような派手な趣向ではなく、柚子がほんのり香る白胡麻豆腐のつきだしからスタートして、いちごと洋梨の上にクリームと白ワインのジュレをのせた水物まで、至極真っ当なおいしさを楽しませていただきました。

うつわがまた、良いものを使っておられるのです。翌晩訪れた某カフェで小耳にはさんだところによれば、祇園にしむら店主のお父さまがいろいろと集めていらしたのだとか。

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祇園にしむらのスペシャリテ、脂ののった厚い鯖寿司。なんとも上品に仕上げられた旨み。千枚漬けで包んであるのは秋冬だけのお楽しみなのだそう。

(念願かなってコンパクトデジタルカメラだけの身軽な旅支度だったので、きれいな写真は期待しないでくださいね、ごめんなさい)

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抑制の効いたお椀に、控えめな矜恃のようなものを感じました。だしが声高に主張するのではなくて、京都らしく柔らかにまとめられた一椀。ビールと日本酒をいただいて、お会計は1人2万円ほど。

決して敷居の高くないお店ですから、仲居さんたちの接客はカジュアルなものでしたが、帰りがけにはご主人と女将さんが大変丁重に、私たちが小路の角を曲がるまでお見送りしてくれました。

祇園にしむら
【住所】京都市東山区祇園町南側570-160
【TEL】 075-525-2727
【OPEN】17:00~21:00
【CLOSE】日曜日

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2009年6月 9日 (火)

京都・好日居で出会った輪ヶ族の帯

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前回書いたカフェは、本日のAll About[カフェ]でご紹介させていただいている京都・好日居(こうじつきょ)のことですが、1年ぶりに訪れるのは面白いもので、以前はなかった小さなものたちがあれこれと目につくのです。

上の写真はそのなかのひとつ。中庭に面した部屋の壁に掛けられていた繊細な帯のようなもの。これはチベットだかモンゴルだかにほど近い山岳地帯を駆けめぐる少数民族、「輪ヶ族」の伝統織物なのだとか。

写真には映っていませんが、この黒帯の中ほどには、10cmばかり白い部分があります。帯を裏返せばその逆で、白地のなかに少しの黒地がありました。

Taikyokuzu その帯を見て、太極図だ!とひらめいたのです。太極図とは、タオイストにはおなじみの、世界の陰陽を表す左の図。

光の中にはすでに闇の萌芽があり、闇の中には光の萌芽が含まれている。万物はたえず生成と消滅を繰りかえし、光は闇なしには存在せず、闇は光なしには存在しない。

輪ヶ族の世界観は、タオと深く通じているようです。

ちなみにこの少数民族の礼儀作法のひとつは、「輪をかける」ことだそう。ご挨拶をするときなど、相手が「今日は良い天気ですね」という言葉を投げかけてきたら、たとえ実際には嵐に見舞われていようと、「本当に素晴らしく良い天気ですね」と、輪をかけて返さねばならないという不思議な慣習があるそうです。

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2009年6月 7日 (日)

京都で大阪の人に遭遇する不思議

拙著『カフェとうつわの旅』でご紹介した、京都の美しい一軒家のあのカフェを再び訪れました。あと3分でお店が開くという時刻。路地を曲がると、めざす古い一軒家の前に、男前の修行僧がたたずんで托鉢中……と思ったら、大阪在住のMさん!

お店がスタートしてから1年を経て 、不思議な密度のようなものが生まれたその家で、女性店主の淹れてくださるおいしい岩茶をいただきつつ、Mさんの晴れやかな笑顔と寒めの駄洒落を堪能させていただきました。

ちょうど前の晩に別のお店で、「Mさんが人生のピンチに見舞われたけれど、無事に切り抜けられたのは、ふだんから他の人のために心を尽くす方だからでしょう」というお噂をしていたのでした。

お茶に添えられた涼を呼ぶおまけは、銘菓「薄氷」。夏のこの時期だけに登場する、蛍が飛ぶ薄氷ですって!

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2009年6月 5日 (金)

京都4日目は小雨/なかひがしの蛍

本日は京都滞在中はじめての雨になりました。

昨夕は知人と3人で、念願の銀閣寺そばの「草喰(そうじき)ながひがし」へ。ご主人が毎朝、山や畑から摘んでくる野菜や野草をふんだんに使ったお料理への驚きはいずれ書くとして、たらふく食べてお店を出るときに、蛍の知らせを聞きました。

「先週あたりから、すぐそこの川に蛍がたくさん飛んでいますよ」

蛍って……教えていただいた場所は、白川通今出川交差点のすぐそば! こんな町なかに?! と半信半疑で疎水の暗がりをのぞきこめば、小さな緑色の光がふうわりと弧を描いて飛んで、いますいます、10匹以上の蛍が!

しばし疎水の柵にもたれて、夢幻のような蛍の光と、鮮烈ななかひがしのお料理の余韻を楽しみました。

さて、ひと息いれたら、エレファント・ファクトリー・コーヒーに行ってまいります。さっき取材させていただいた小さな新しいお店は「本と珈琲」がコンセプトで、オーナーはエレファント・ファクトリー・コーヒーにインスパイアされてお店を開いたのだそう。あの美しい象工場は、京都における「本と珈琲」のひとつの新しいスタンダードになりつつあるのかもしれません。

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2009年4月28日 (火)

天然昭和喫茶、ゴゴ(出町柳)

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進々堂へ向かう前に、たまたま時間の余裕があったので入ってみた小さな喫茶店「ゴゴ」。入り口にはクラシックな字体で「まろやかな舌ざわり 独得なゴゴの珈琲」と綴られた看板。
いかにも店内は昭和のまま、外側だけに時代が流れた…という佇まいになんとなく呼び寄せられただけだったのですが、扉を開けてみれば想像以上の世界がひろがっていました。

シャンデリア、柱時計、壁の彫刻。人為的に造られたレトロ調ではなく、みごとな天然の昭和喫茶です。しかも素敵なことに、ご近所のおじさん、おじいさんたちの憩いの場としての役割を現在もきちんと果たしているようです。

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カウンターの中で活躍していたのは、30歳前後でしょうか、優しい雰囲気の女性で、年配の男性客たちを全員「おとうさん」と呼んでいました。おとうさん、コーヒーでいいですか? あ、おとうさん、おおきに。

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私がいただいたのはコーヒーゼリー。「この店にはそんなメニューがあったんやな」と、初めて気づいたらしい常連客に、カウンターの女性が説明します。

「暑くなってくるとアイスコーヒーがよく出るんやけど、いきなりそんな冷たいもの飲んだらおなかがびっくりしてしまうわ、というお客さんは、けっこうコーヒーゼリーを頼まはるんですよ」

それにしても不思議なのは店名の「ゴゴ」です。お会計のときに由来を訊ねたら、カウンターの端に腰掛けて新聞を読んでいた白髪の男性が顔を上げました。オーナーだったのです。

現オーナーは創業者ではなく、ゴゴとして営業していたこのお店を買い、そのままの店名で続けてきたのだそう。

「なんやフランス語の意味があったらしいけど、よう知りません。以前は朝6時から開けていた時代があって、みんなに“朝からやってるのにゴゴ!”と言われましたわ」

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京都市左京区田中下柳町8-76
【TEL】 075-771-6527

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2009年3月17日 (火)

KARAIMO BOOKS(京都)と石牟礼道子の悶え神

京都・二条にある雨林舎の扉を開けたらあいにく満席。おもての黒板の下に1行、「3月10日、KARAIMO BOOKSオープン」と書かれてあるのをみつけ、先にそちらに行ってみることにしました。雨林舎で働いていたオーナーの弟さんご夫妻のお店だといいます。

古書店KARAIMO BOOKSは二条駅前からタクシーで15分ばかり、運転手さんによれば「こんな場所に店があるやろか」という小路に、なんでもない風情で扉を開けていました。ごく普通の民家で、以前は小さな服屋さんだったとのこと。こじんまりした古本売り場の奥に、靴を脱いであがる喫茶と日本酒のスペースがあります。

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書架をざっと一瞥しただけでは傾向がうまくつかめなかったのですが、店名の由来をたずねたり、喫茶スペースにあがってぐり茶を飲んだりしているうちにKARAIMO BOOKSの世界に引きこまれ、東京に戻る新幹線のなかで、数年に一度あるかないかという出会いを手にしたことを知りました。店頭で購入した石牟礼道子の『陽のかなしみ』。

唐芋(からいも)は南九州でさつまいものことを呼ぶ名。KARAIMO BOOKSは南九州にフォーカスした珍しいお店なのです。しかしオーナー夫妻は京都のご出身だそうで、それではなぜ南九州、と訊ねると、石牟礼道子の本がとても好きなのですと奥さまが答えてくれました。

高校の補習の授業中に、題材としてとりあげられた石牟礼道子の文章に出会い、この作者が行きたいと願って果たせない世界というものが、自分が願っている世界と同じものだと感じたという彼女。語る言葉にしっかりと文章を読んできた人ならではの厚みが感じられ、そんなふうに読まれる作家なら読んでみようと、古本スペースのレジの前に並ぶ石牟礼道子の著作の中から1冊を買いもとめたのでした。それが『陽のかなしみ』。

多数のエッセイをおさめた450ページを越える厚い文庫本で、今日読み終えたばかりなのですが、巻頭に置かれた『あやとり祭文』と『ことば以前』、『気配たちの賑わい』の3編で目のくらむような衝撃を受けて、あとはもうひたすら石牟礼道子の紡ぐ言葉のとりこに。

たとえば『あやとり祭文』では筆者の幼年時代の、気のふれた祖母との“会話”が綴られます。

 孫は、祖母のものいいをそっくり覚え、その魂に描かれる絵に夜の海が拡がって、三日月さまがあらわれます。
 このような会話を交わしあったわけではありません。盲で気のふれた老婆と、その孫娘がやっていたのはたぶん、声に出さない言葉の所作事だったと思われます。雪国の子どもたちがつくって遊ぶというあの<かまくら>に似た、いわば<声のない言葉のかまくら>をつくり出し、ひとには見えぬその洞(うろ)の中に這入って、遊んでおりました。現世からすこしはずれた仄暗がりに、ふたりだけのかまくらをつくって。
 ひとには見えぬその洞(うろ)は幼女にとって、たぶん最初に意識されていた劇の宇宙でした。覚える片端から、言葉は、演じるためにありました。老婆の言葉は、立ちゆらいでいる生の実質でした。自他のいのちの劫火に焼かれて煎じつめられ、立ちのぼる間ぎわに開放されるあの声音、巫呪の井戸を立ちのぼって来て、ふっとうたや笑い声になってしまう、鎮めの声音のたぐいだったろうと、今にして思うのです。化けるまではゆかなかった気ちがいさまが、稚(おさ)ない孫と交わしあった世界はしかし、化けて出たいものの愉悦にみちていました。

                        (『あやとり祭文』石牟礼道子)

このエッセイの最後で三日月さまの夜に舟で不知火海を渡っていく哀れな狐たちは、石牟礼道子に作家の道を歩ませた水俣病の患者たちそのものです。

水俣病といえば--石牟礼道子の文章にはときおり「悶え神」という言葉が現れます。

 人の悲しみを自分の悲しみとして悶える人間、ことにそのような老女のことをわたしの地方では<悶え神>というが、同じく人の喜びをわが喜びとする人間のことを<喜び神さま>とも称していた。

                        (『自我と神との間』石牟礼道子)

彼女が自分の中にこの悶え神の資質を見ていたことは想像に難くありません。悶え神と呼ばれるものたちは無力で、「この世の無常の一切について、悶え悲しむばかりの神として在る資質」であり、「無力さの極限によってなにかに関わる存在」なのです。

 悶え神とは、自身は無力無能であっても、ある事態や生きものたちの災禍に、全面的に感応してしまう資質者のことである。この世はおおむね不幸であるが、ことに悲嘆のきわみの時に悶え神たちが来て、共に嘆き悲しみ加勢してくれたことを、悲嘆の底に落ちたことのあるものは、生涯のよき慰めとする。その悶え神とは、ただじいっと涙をためてよりそってくるまんまんさまであったり、背中を黙って撫でて去る老婆であったり、憂わしげに、片隅から見あげている、いたいけな幼女であったりする。そして、我が身も不幸を負っているものである場合もある。

                       (『朱をつける人』石牟礼道子)

上の「まんまんさま」とは生まれつき脳に障害のあるような人のことらしく、村の人々は声をひそめて畏れ敬うようにして「あのひとはまんまんさまぞ」などと呼んでいたのだそうです。

そのような聖痕を持つ者たち、異形の者たちの中に身を置いた作家の視線は「なかば死後のまなざし」。彼女が目撃した水俣は「死者たちの国」であり、この世とあの世のあいだを往きつもどりつしてどこへも行きつけない魂が、夢とも幻ともつかないもうひとつの世界を出現させています。

石牟礼道子が彼岸花を見るとき、それは現世の岸に咲いているのか、精霊たちがゆらめく世界の岸に咲いているのか、まず彼女自身が目を凝らさねばならなかったことでしょう。視力はあってもまなざしを持たない人々には見えない世界を感知し、言葉を紡いできたのが彼女。その作品をさして鶴見和子が「巫女文学」の名を与えたのも、後年のエッセイに沖縄・久高島のイザイホーが描かれるのもうなづけるのです。

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そのようにして「石牟礼道子の水俣」にはまりこんでいった私。KARAIMO BOOKSのお二人が水俣を旅したり、熊本日日新聞をわざわざ京都まで取り寄せていることに最初は少し面食らっていたのですが、読了後は自分でもかの地を訪れたいと思うように。

喫茶スペースでは、無農薬で育てられた水俣のおいしいぐり茶やみかんジュースなどがいただけます。KARAIMO BOOKSには、この素晴らしい出会いになんと感謝の言葉を申し上げればいいのかわかりません。人にまったく思いもかけない本と出会わせてもらえる愉しみ。それは書店に足を運んだ人だけについてくる、素敵なおまけです。

KARAIMO BOOKS(カライモブックス)
京都市上京区大宮通芦山寺上ル西入ル社横町301
【TEL】 075-203-1845
【OPEN】 12:00~20:00、水休

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2009年3月15日 (日)

喫茶セブン@京都

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両川(Ryosen)店主・大野さんに教えていただいた押小路(おしこうじ)通添いのご近所、「喫茶セブン」。早春の光を含んだ小雨に濡れるの小路一角に、ひっそりと扉を開けていました。

店内をあたためるストーブの上には、水をはった洗面器。トーストとコーヒーのモーニングセットは350円。ソーサーの上に小さなチョコレートがふたつ添えられていました。

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昭和38年のオープン当初から、コーヒーはネルドリップ。当時はネルがポピュラーだったのですね。有名レトロ喫茶のひとつ「静香」の女性店主が、かつては着物の下に厚手のネルを着たから、良いネルがどこでも手に入ったとおっしゃっていました。今の市販のネルは薄くてだめです、と。

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喫茶セブン店主、にこやかで親切な松宮さん。恒例の質問「京都の人はイケズですか?」を投げかけてみました。

「はい、そりゃあもうイケズですよ(笑) 京都のひとは口がうまい、おべんちゃらがうまい。真に受けたらあきません!(笑) 私は京都の人間ではなくて言い方が下手ですから、最初のうちは困りましたな」

コーヒーの仕事で二人のお子さんを育て、現在息子さんは東京在住。喫茶セブンのあとは継がれないそうです。もはやコーヒーだけで食べていくことは難しいからと。

たえず変化していく街の片隅の、小さな遺産。変化はだれにも止めることはできませんが、記憶しておくことはできます。昭和、平成にわたって46年ぶんの歴史を重ねてきた喫茶セブンの365日×46年=16790日。その16790分の1日の朝の時間を共有できたことを、静かに嬉しく思っています。

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喫茶セブン
京都市中京区押小路通西洞院東入ル北側
【TEL】  075-231-6766
【OPEN】  8:30~17:00、日祝休
【MAP】 Yahoo!地図情報

※喫茶セブンの詳しい情報はこちらをどうぞ

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