「ももや」は有楽町の小さなビルの2階に1949年に創業し、2007年5月まで58年間にわたって営業を続けた喫茶店。そのももやが形を変えて、Web上で復活します。
東京カフェマニア上でも2000年当時のももやについて書いておりました。
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2001年発売の書籍『東京カフェマニア』には、BBS(懐かしい響きです)上でやりとりされたももやについての会話を収録。
また、書籍『コーヒータイムブック』では、映画『珈琲時光』に登場する喫茶店としてももやをご紹介しています。
このたび、創業者の孫にあたる加藤紘輝さんからメールをいただき、ももやがWeb上でコーヒー関連ギフト専門の通販サイト『MOMOYA 』として営業再開することを知りました。
以下はそのプレスリリースの一部です。
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「ももや珈琲 銀座店」は、昭和24年(1949年)に創業した個人経営の喫茶店です。
創業者である私の祖父は、戦後の動乱の中で菓子の詰め売りを行い、そこで集めたわずかな資金を元手に「ももや珈琲店」を開業しました。
個人経営のいわゆる「昔ながらの小さな喫茶店」でしたが、有楽町周辺で働かれている方々に愛されながら、銀座裏の隠れ家として営業していました。その頃は、大手チェーン店ではない地域に根差したユニークな喫茶店が、日本各地に存在していた時代です。
しかしながら、日本の経済成長・インターネット普及といった時代の流れに伴い、多くの個人経営の喫茶店が廃業を余儀なくされました。
50年以上営業を続けていた「ももや珈琲店」も、その例外ではありません。
銀座・有楽町周辺の再開発に伴い、2007年5月に有楽町マリオン裏での営業を終了致しました。
閉店より 10 年の月日が流れた今、祖父の強い思いが詰まった「ももや珈琲店」を復活させたいと考え、現在活動しております」
momoyacoffee.com
この機会に加藤さんとメールでやりとりさせていただき、ももやについて知りたいと思っていた事柄をいくつか、2代目をつとめたお父さまに確認していただきました。
まずは店名の「ももや」の由来のこと。
「祖父が喫茶店を始める際に、神田の易で占ってもらって名付けました。
いくつかある候補の中から、祖父がももやを選んだそうです。
『百々屋』と書いてももやと読み、百代まで長く続くように、という意味が込められています」
次に、創業時から閉店の数年前まで、50年以上にわたりマスターとしてカウンターに立っていた松山さんについて。
「松山タロウ(通称タロウさん)という男性は、ももや珈琲の現場責任者としてマスターをしておりました。戦後間もない、ももや創業当時から祖父と一緒に働いていたそうです。
詳細はわからないのですが、祖父は何らかのツテでタロウさんをスカウトしてきて、ももや珈琲店を始めたようです。
タロウさんは以前からコーヒーに関わる仕事をされており、生豆の仕入れから焙煎まで全て行っていました。『ももや珈琲オリジナルブレンド』の生みの親です。
2004年前後に体調を崩したために引退され、今から10年ほど前に他界されました。祖父の他界とほぼ同年とのことです」
そして、加藤さんご自身が記憶するももやの風景。
中学生の時に閉店したため、あまり鮮明な記憶はないそうですが――
「小学校の頃に、亡くなった母に連れられて何度かももやに行っておりました。
時代に取り残されたかのような喫茶店で、子供ながらにレトロで味のある店だな、と思っておりました。
当時はコーヒーが飲めなかったので、父に作ってもらったメロンソーダフロートをランドセルを背負ったままカウンターで飲んでいた事を記憶しています。
『東京カフェマニア』にご掲載いただいている通り、カウンター横の暖簾をくぐった所に、屋根
裏部屋へとつながる梯子階段がありました。
屋根裏は、仕切りもなく広々とした事務所兼休憩室となっていました。
お店が混んでいる時は、屋根裏へと上がって学校の宿題をしたり、2才下の弟と遊んでうるさくして父に怒られた事もありました。
1階の入り口も目立たず、2階に上がる階段もかなり急でしたので、当時の私と弟にとっては文字通り、秘密基地のような場所でした」
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このページを読んでくださった方々の中に、ももやの記憶をお持ちの方はどれくらいいらっしゃるのでしょう。
時のはざまに消滅した小さな喫茶店の実物は二度と蘇ってはこないけれど、その記憶のかけらを保持する人どうしが言葉を交わし合い、往時の光景をありありと思い描くことで、交差する想念の線上に亡き喫茶店の姿が浮かび上がってくるように思われるのです。
Web上に復活する新しいMOMOYAは、これからどんな記憶をプレゼントしてくれるでしょうか。